「あいたい」今週の大江千里

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 「会いたい」でも「逢いたい」でもなく「あいたい」。千里さんの歌詞を見ると(あえてなのか)漢字表記されていない言葉が多いですよね。「きみ」や「ぼく」を中心に。この曲も後々レビューを書きたいくらいなんですが(というか全曲やるのが目標なんですが笑)「ずっと海をみてた」の「みてた」とかとか。どういう意図かは機会あればご本人に聞いてみたいことの一つなんですが、リアルタイムのリスナーさんはこの理由知ってたりしますかね…深くは考えませんが、ひらがな表記の方が可愛らしい気がします。で、これもリアルタイムリスナーでない私はなんとも言えないんですが、コンセプトにそぐわなかったからかもしれないし、たまたまだったかもしれないけど、1990年9月に発売されたアルバム「APOLLO」によく収録されずに済んだなと。あいたいの発売は1990年12月1日、多少遅いけど、もしこれが「APOLLO」に収録されていたら…「APOLLO」にはシングル曲が5曲だったかもしれない。より大作になることは間違いなしだけどのちの「HOMME」でどの曲がラスト2曲目を務めるのかと。何回か言ってるかもしれませんが、10・11曲程度のアルバムは(しかも大江千里は特に)ラスト2曲目が勝負曲が多いと思ってます。だから「あいたい」が「HOMME」に収録されてなければ、「格好悪いふられ方」がラスト2曲目で「APPOLO」の「BAY BOAT STORY」みたく「返信」あたりが3曲目に入ってたのかなぁ…などとここ最近は考えることがあります。
 
 それにしてもこの「あいたい」はすごい。この曲誰かカバーしてくれないかなと思ってて、適任は思い浮かびませんが… この曲を聴いてると感動して号泣とか、じゃなくてなんか自然と涙がハラハラと出てくるみたいなそんな曲で、夕焼けを見ながら、歌い出しの「夕焼けが目にしみて こらえられないこんな日」って聴くと今にでも泣きそうな… この曲は音としては終始優しい感じでだけどドラマチックな追い上げ、というイメージです。この「夕焼けが目にしみて こらえられないこんな日」と、その次の「なんとなく自転車で きみの住む町へ行くよ」「くれなずむ坂道で 遮断機の音をきいた」「はしゃぐ声 すねるくせ あの日も全部恋しくて」これら全ての歌詞がなんとなく昔懐かしい風景を想像させてくれていて、実際サビよりAメロが好きです。

 Bメロの部分も昔を懐かしむような情景が描かれていてこの曲はまさに「恋」だなと。大学のレポートで「恋」について書く機会があったのですが、その際に広辞苑で意味を調べたら、「一緒に生活できない人や亡くなった人に強く惹かれて切なく思うこと」と出てきました。つまり、この曲全体が『昔を懐かしんでる切ない歌』と言えるのです。私がそう思ってるだけですが。では歌詞を見ます。「柳の下の さびた看板 けんかした 長い影 ふたり揺れていた」ここがサビへと続き、盛り上がって行く重要なポイントで、「柳の下の」←ここはまだAメロとほぼ同じくらい(弱)「さびた看板」←ここから徐々に上がっ行って(中)「けんかした 長い影 ふたり揺れていた〜」パワーMAX(強)こんなイメージで私は聴いたり歌ったりしてます。それで「柳の下の〜ふたり」まではずっとベースコードが一定(C♯)だから最後の最後の「揺れていた〜!!!」まで一定を保つっていうことかもしれませんね。

 「もう一度きみにあいたい あの頃のきみにあいたい 抱きしめたい 無邪気すぎる瞳」やはりもう一緒になることのできない遠くの存在の「きみ」(ただし自転車で行ける距離にいますのでここでは心の距離が離れているってことですね)に強く惹かれている様子がわかりますね。「夢さえも むき出しのまま 手さぐりで 求めあってた はりさけそうな 永遠かみしめて」ここはなんとなくですが、主人公と「きみ」はうまく付き合えていなかったのではないか、手探りで求めあうっていう表現に若干ギクシャクした男女関係を想像してしまいます。それで別れたことが、心がはり裂けそうなくらい悲しい現実だけどそれが永遠と続くんだな、という意味で永遠をかみしめる、と歌っているのではないでしょうか。

 「きみらしく生きることそれがいちばんできない」ここなぜ「ぼくらしく生きること」ではないんだろうって思うんですがどうでしょうか。「巡りあった偶然にせかされてここまで来た」ではおそらく主人公自らのことを言っているのでしょうね。先ほどの「手探りで求めあってた」恋愛のストーリーにつながるものを感じます。

 「ガードレールの むこうの空地 家路急ぐ 子供達 声がこだました」これもまさに懐かしい雰囲気が漂う景色だと思います。

 「もう一度 夢に逢いたい あの風を 胸に受けたい 抱きしめたい やみくもなまなざし」ここで注目したいのは 「夢に”逢いたい”」。「HOMME」のピアノ弾き語りの楽譜の歌詞を見ながら打ってるのですが、ここだけ「逢う」なので驚きました。「逢う」には「会う」より特別な意味がありそうですね。ネットによると、「会う」は集会を開く、のように集まる的な意味も兼ね、一方「逢う」は、両者が一点で出会うことのようですね。深い思いから出会うことや、しかし、事故や事件等々嫌なことに遭うという意味も兼ねているらしいのでこの逢いたい「夢」が良いものか悪いものなのかは私はわかりません。ただ、「あの風を 胸に受けたい 抱きしめたい やみくもな まなざし」なので将来への期待に満ち溢れていてやみくもに(むやみに)前進していた頃の風を受けて鼓舞されたいのではないかと推測致します。「ぼくは今走り続ける きみは今変わり続ける ちがう空に 永遠浮かべて」走り続ける(移動の意味)主人公に対し変わり続ける(その場にいる)「きみ」、向かう方向が明らかに異なることが想像できますね。

 「季節外れの 海を目指した 線路わき 低い雲 何もうつらない」このBメロシリーズ(一部Aメロを含む)の風景を全て満たしている場所は果たしてあるのか(見つけたわけじゃないです)。おそらく関西圏だと思うんですが、「舞子」や「塩屋」「夙川」のような地名でなく、地名を言っていない場所が本当にあるのか興味をもち、実在するなら訪れてみたいですね。(今後の課題として調べたい)柳の下に看板があって、遮断機の音が聞こえる線路わき、空き地とガードレール、そして近くに海がある。1990年の話なので実在しても当時のままではないでしょうが笑

 そして最後は1番、2番のサビを繰り返し、フェードアウトで終わりと。今まで見てきて、また、大学の「恋」のレポートを書いて、改めて思ったのはこの曲、昔を懐かしんでるしつまりは何もかもに恋しく思ってるんでしょ?じゃあ曲名も「恋」で良いじゃ〜ん(どうしてそうなったー!!!)そう思った後継者の星野源(私が”勝手に”呼んでるだけです)が「恋」というタイトルで曲を書いたと(絶対違う)

 そんなことで、今回は「あいたい」という恋の曲を取り扱いました。

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